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アイルトンセナ

モータースポーツは、昔から好きではありましたが、F1にハマるきっかけを作ってくれたのは、言わずと知れた音速の貴公子、アイルトンセナである。



なんといっても、プロストとともにウィリアムズホンダに在籍していた頃が絶頂期でしょうか…2人のトップ争いは熾烈で同じチームに属しているとは、思えぬ走りで、時にはトップ争いから2台が接触…結局HONDAはそのレースをリタイアなどということもありました。



完全主義者だった彼は「単に極限までの努力なら誰でもできる。それでは他の者と変わらない。勝負はそこから始まる。極限をどれだけ超えられるかに、勝負の結果、または人生の成功、不成功がかかってくるんだ」などという言葉を残しています。



それだけ、自分に厳しく周囲の人にも、気遣いをし、感謝の気持ちを忘れなかったセナですが、88年のモナコで、59週目で2位のプロストに50秒以上の差をつけていたときのことです。



そのとき、彼の頭に虚栄心がもたげ、プロストを1周引き離してしまおうと思ってしまったそうです。



結果は百分の一秒早くハンドルを切ってしまって、車はガードレールにぶつかって大破。彼はピットにも戻らずそのままアパートに帰って、コース上で起きたことを振り返って自問自答した。 



「強烈な孤独感が私を襲っていた。何かにすがりたかった。気がついてみたら、私は聖書を手にしていた。そして神と向かい合っていた。それまでに感じたことがなかった新鮮さに心が洗われる思いだった。自分に欠けていたのは謙虚さだったということも悟った。私にそれが欠けていたため、私を支えてくれていたチームの全員の期待を裏切り、彼らに多大な迷惑をかけてしまったのだ。それを私に教えてくれたのは神だった。以来、私は神をもっと理解するように努めてきた。理解すればするほど神の偉大さと必要性を感じさせられる。神は私の人生の一部であり、常に心の中に在る。だからといって神に頼るということはしない。信じていれば人間は強くなるものだ」



つまり、簡単に言えばその時、思い上がって、自分に力があるから、これだけ速く走れるのだ、そう思ってしまったんですね。





これは何事においてもそうであると思いますが、自分の実力だけでここまでやってきた…本気でそう思うと、次の瞬間、足をすくわれるような出来事に出会うんですね。



自分がやっているのではなく、何か見えないものの力でやらせていただいている(僕は神という表現は好きではありませんのでサムシンググレートとでもいいますか)のだと思うのです。



それを、忘れ思い上がって本気で自分に実力があるからだ。そう思ってしまうと、そのパワーはなくなってしまう…こういう経験は大なり小なり誰しもあります、問題はセナのように気づくかどうかです。気づけば解決していくことです。気づかないでいれば、たとえ、また上り詰めたとしても、同じ目に合うでしょう。



人は皆挫折に出会う、しかし出会ったときの対処でその人間の真価が問われることになる。



セナはこうも言う。 「自分の考えや信条を持たず、困難や挫折から目をそらし、毎日をいい加減に生きている人間ほど哀れなものはない。このごく限られた地上での期間を無駄にしてしまっているのだからね。神はそんな人間を創ったおぼえはないと言うだろう」



セナは肌身離さず聖書を持ち歩いていたそうで…その中の一文に赤線が引いてあった。



その人間に与えられた任務を終えたとき、死は恐れるに値するものではない…



1994 5.1 アイルトン セナ ダ シルバ



サンマリノGPでウォールに310kmで激突、ほぼ即死で永眠

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